若き日は剣豪のように。決して情報老人になってはいけません。

 剣豪の名をほしいままにした宮本武蔵──。この人が後世にのこしていった話題はまことに豊富である。
 晩年の、剣禅一致の心境をえがいた宗教的なものから、剣豪を剣豪としてえがいた、若き日の豪傑談まで、その数は多い。
 この姫路城の妖怪退治の物語りも、人身御供の娘を救った物語りなどと並んで、よく聞かされるところだが、白鷺城と呼ばれ、天下の名城としてきこえのたかい姫路城天主闇を背景に、城の守護神・刑部(おさかべ)姫がからむ、三百六十年ほどまえの物語りである。(本文36ページ参照)
姫路城の妖怪退治 芳年・画 (日本文化出版社 怪談奇談 第5集 より)

深甚流(しんじんりゅう)
特色:突きを主体とした剣術
草深甚四郎時信<くさふかじんしろう ときのぶ>(生歿年不詳)
名前/ 草深甚四郎
流派/ 深甚流(無拍子流・開祖)
その他/ 加賀国草深村に生まれる
  南北朝時代の新田義貞の部将、畑時能の後裔と伝えられるが確かでは無い
  剣術は新当流・塚原ト伝から学んだ
  因みに甚四郎はト伝に太刀では敗れたが槍術では勝利したと云う
  他にも彼は無拍子流という柔術も開き、また驚くべき事に妙術まで扱えたと云う
  (天狗隠しに遭った際に兵法の妙を悟ったという逸話も残っている)
http://machinaexdeo.fc2web.com/senngoku.html より

**僕は剣豪が好きなんです。なんで?でしょうか?
草深の話は、ばあちゃんに聞いたのとは違っています。
卜伝は自分は戦わず弟子を差し向けた。これを察知した甚四郎は、地の利を生かし、手取川の河原へ誘い込む作戦を実行。河原の草を所々結んでおいて、川の水の中には槍を刃だけ水面から浮かし準備した。敵から見ると水の流れのように見えるようにした。で、卜伝の弟子を撃破した。堪り兼ねた卜伝は自分の出番を知り、甚四郎と直接対決。剣豪じゃから、槍は2次的な兵器でしかない。卜伝との勝負は互いに辞めようや!ってんで、辞めた。
つまり、
両者ともに
武士道とは卑怯の連続であり、他人は殺してもテメエは生かす。のだと悟っていた。という話です。
まあ、
伝聞じゃから、定かではないけれど、なんとなく水鏡とかなんとか理解出来そう?でしょ?
剣道少年たちがこれを読んだら怒るかもしれんけど、「伝聞」 から、類推しただけの話じゃから、ね。
甚四郎杯という剣道大会とは無縁です。←書いておかないと、怖くて。
で、
武蔵も知らなかった筈もなく、むなしーくなっていったのかな
そういうふうに考えると味もそっけもなくなるじゃないですか?
それを、脱・〇〇という。(=嘘です。)

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