哲学書が科学書のように読めたら(あるいは数学書?)

めまぐるしく変化しても時代の制約は読み取りやすいのが科学書のような気がする。
哲学書はそうはいかない。
デリダの存在理由はその辺だったりして………
バタイユを持ち出すのは比較的簡単な行為である・脳性麻痺者。
(↑ 解らんでしょ?!)

被災者………良かったね、過去を懐かしがれて。

例えば、デカルトの時代スピノザは本を一冊ものにするのにいくら$使ったと思うか?
僕の試算では、約4千万円………
ジンク版の方が活字版よりも安かった時代………石版の彫り師に払う銭よりも大理石の方が安かった…………
マルクスも一冊の本が出せると小躍りして喜んだ!?という話を彼の文字を活字にした職人の苦労話から読み解こうとした、僕ら………
マルクスもそこから現在のような 【マルクス主義・仮面舞踏会】 が始まるとは思わなかったような気がする。
自分の考えに感動する姿は、マルクスに近づこうとした僕にも気持ち悪いものがあった。
つまり、【感動の押し売りプロトタイプ・自意識】 が彼だった気がしている。
そこに惚れ込むとえらいことになる。
黒田、本多………早稲田のフラケン………

コミューンの一人歩き・幻想は、幻想に過ぎない。
現に其処にあったコミューンはあまり意味が無いのだよ。

ははははははははははははははははははははははは。

たまに難しいことを書かないと喉が詰まる気がする。
イーサーネットの撚り線の中を石は投げられない。ざまあみろ!!!!

 

経過報告:
酸素が80%を切りそうになっている。意識レベルが低下している。
けれど、感覚器が敏感になっているのは、自意識過敏症候群のせいかも知れない。
カクマルを経験した人は、この小ブル病(別名:黒田病)に必ず罹っている。
観察してごらん。面白いから。

広告
カテゴリー: 未分類 パーマリンク