生活者の視点を保持しなければならないインテリジェンスの不幸

ボロボロに負けて引き籠もるとそうなる?
僕は 『なんか?違う!』 と思い続けているんです。
なんか?違うんです。
身体の巾にしても 【概念】 を振りかざす限りは 【遠くまで行く】 ということの中身がズレているような気がするんです。
現・存在は、生活者以外のなにものでもなく、別にそれに拘ることに 【哲学的】 あるいは 【思弁的】 な有意味性があるとは思えないんです。
【生活者】 と自分を宣言すれば、何かを許される訳でも無く、何かを対象化・物象化出来るわけでも無いような・あるような………………

形而上の 【遠くまで】 到達し得たわけでも無いのにテメエのインテリジェンスをひた隠しにするのと、小ずるく立ち回るのは同意義だと思えているのです。

何をどう思弁しようが 【生活者】 であることにさほど変わりはあり得ません。
折角、簡単な出版の道具を手に入れたのに………………

恐らく、僕はブルジョワ学の先を行かなければ意味が無いと言い続けると思います。
なぜなら、
明確な立ち位置を示さない人々は、ゴミとしてテメエを最初から自己規定してしまっていて、何も概念的な創造力が働かないと思えるからです。

【肉の自働率】 が存在しないと、快も不快も無いような気がします。
でも、
始めた以上は死ぬまで続けることが必要かな? とも、思わないこともないのですが………………

ははははははははははははははははははははははははははははは。

行間を読みましょう!
インテリジェンスに都合の良い逃げ道を吉本隆明は用意してくれたわけでは無いと信じています。
心地よさは感じますけど、切迫感が無い………………
僕は、もし、そういう言い方があるとしたら、バタイユ・イストかもしれません、ねっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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