永続性とか個とか、如何に鬱陶しいものであるか!!

エチカ 畠中訳 最終
引用ここから>>

備考 以上をもって私は、感情に対する精神の能力について、ならびに精神の自由について示そうと欲したすべてのことを終えた。
これによって、賢者はいかに多くをなしうるか、また賢者は快楽にのみ駆られる無知者よりもいかに優れているかが明らかになる。
すなわち無知者は、外部の諸原因からさまざまな仕方で揺り動かされて決して精神の真の満足を享有しないばかりでなく、その上自己・神および物をほとんど意識せずに生活し、そして彼は働きを受けることをやめるや否や同時にまた存在することをもやめる。
これに反して賢者は、賢者として見られる限り、ほとんど心を乱されることがなく、自己・神および物をある永遠の必然性によって意識し、決して存在することをやめず、常に精神の真の満足を享有している。
さてこれに到達するものとして私の示した道はきれめて峻険であるように見えるけれども、なお発見されることはできる。
また実際、このように稀にしか見つからないものは困難なものであるに違いない。
なぜなら、もし幸福がすぐ手近かにあって大した労苦なしに見つかるとしたら、それがほとんどすべての人から閑却されているということがどうしてありえよう。

たしかに、すべて高貴なものは稀であるとともに困難である。

<<引用ここまで。

人間が 【幻視】 する個とか宇宙とか永続性とか、
子供の頃から 鬱陶しかった・僕。
時空なんとか、と言う問題の立て方が鬱陶しい………………
ええい!
面倒な!
バサッ!
って、斬った方が 【らく】 なだけで、【けらく】(快楽) ではない。

僕は、非・マルクス?の足跡を辿ると、無限に悲しくなるんです。
なんでか?

ははははははははははははははははははははははははははははは。

永遠の永続する宿題です。

 

 

 

 

 

 

 

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