哲学の無い目先の欲だけの原発

今更、ジルなんだけど………………
けんちん汁なら美味いけど………………

いきなり引用>>

『差異と反復』 思考のイマージュ
ジル・ドゥルーズ/荒川幾男訳

哲学における姶源の問題は、いうまでもなくきわめて微妙な問題と考えられてきた。
というのも、始めることは、すべての前軽を排棄することだからである。
しかし、科学においては、厳密な公理系によって排棄されうる客観的諸前提が問題であるのに、哲学の諸前提は、客観的であるとともに主観的でもある。
ある一つの概念が明示的に前提している諸概念を、ふつう客観的前提と呼ぶ。
例えば、デカルトは、『省察』の第二省察で、人間を理性的動物と定義するのを拒んでいるが、それは、そういう定義が、理性的とか動物という概念を明示的に既知のものと前提しているからである。
かれは、定義として「コギト」を提案することで、類と種差で行う分析方法を要求する客観的前提を一切排去しようとするのである。
しかしながら、明らかにかれは、もう一つの、つまり主観的ないしは暗黙の、すなわちまた概念のなかにあるものではなく感情のなかに隠されている諸前提からは、逃れえていない。
というのは、各人は、私、思考、存在の意味するところを、概念抜きで知っていることが前提されているのである。
だから、「私は考える」の純粋な私は、それの諸前提のすべてを経験的な私に送り返してしまったからこそ、始源のように見えるのである。
そしてまた、ヘーゲルがすでにその点でデカルトを非難しているとしても、ヘーゲルが別のやり方をしたとは思われない。
かれの場合も、純粋な存在は、その諸前提を経験的、感性的、具体的な存在に無理矢理送り返したからこそ、始源であるのである。
このような、客観的前提を排去するが、それも同じだけの主観的前提(つまりは別の形の同じものといえようが)を自らに与えるかぎりで、という姿勢は、またハイデッガーの姿勢でもあり、ハイデッガーは「存在」についての前存在論的理解に依拠するのである。
こうして、次のようにいうことができる。
すなわち、
哲学には真の始源というものはない、と。
あるいはむしろ、哲学の其の始源つまりは「差異」は、それ自身においてすでに「反復」である、と。
しかし、こういう言い方、そしてまた哲学を「循環」と考えることは、いろいろな解釈を可能にするので、よほど慎重にならなければなるまい。
というのも、始源にあったものを終末においてもう一度見出すこと、あるいはまた、概念抜きで、暗黙の形で知られているだけであったものを、認識し、明るみに引き出し、明示的なものにし、概念にまでもたらす───どんなにこの引き出しが複雑であろうと、またあれこれの著者によってどんなにそのやり方が違おうと───こと、それが問題なのであれば、そんなことはきわめて簡単なことであり、そういう循環は本当はそんなに手の込んだものではないと、はっきり言おう。
循環というイメージは、むしろ、哲学が真に始めることも真正に反復することもできないことを示しているといえよう。
主観的ないし暗黙の前提といわれるものを、もっとよく考えてみよう。
それは、《みんなが知っている……》という形式をもっている。
概念以前に、前哲学的な形で、みんなが知っている……みんなが考えるとか存在するという意味を知っている……だから、哲学者〔デカルト〕が「私は考える、故に私は在る」というとき、かれはかれの諸前提つまり在るとか考えるということの意味を暗黙のうちに理解していると前提することができる……そして誰も、疑うことは考えることであり、考えることは在ることだということを否定できない……みんなが知っている、誰も否定できない、これが表象の形式であり、表象する者の言説である。
哲学が暗黙のないし主観的諸前提にその始源を保持するとなると、哲学は、本質的なものすなわちこの言説の形式は別として、何ものも守り固持しなかったのだから、純粋無垢な顔をしていられる。
そこで哲学は、衒学者(ペダン)〔学校で学んだ知識で一杯の人〕に《白痴》(イデイオ)〔無垢の人〕を、エピステモンにユードクスを、つめ込みの知解力に意欲 bonne volounté を、当代の一般的知識に毒された人に自然のままの思考をもった独自的な人を、対立させる。
哲学は、前提をもたぬ人間の側として、白痴の側に立つ。
しかし実際には、ユードクスはエピステモンと変らず前提をもっているのであり、ただ別の形で、つまり暗黙のないしは主観的な、《私的》であって《公的》でない形で、前提をもっているのであり、つまりまた、哲学に始めるような顔、前提なしに始めるような顔をさせる自然のままの思考という形で前提をもっているのである。

<<引用ここまで。

1982年現代思想 vol.10-15 から OCR です。精読していませんので、気になったらご自分でお直し下さい。
自分で直すのが世直しですから………………

【自分】 が 【何】 で出来上がっているか?
まあ、
考えたら、就活にマイナスになるようで………………

年寄りは 【不安】 を知っている。
太平洋戦争での悲惨な想いを聴いている。
悲惨な記憶は貯蓄へと向かうので、決して銭は使わない。
そんなことは施政者達は身に滲みている。
だから、
『戦争をもう一回するしかないんじゃない!?』
となる?

僕らは、徹底的な民主主義をやろうとした。
中核派の恫喝にも負けずに????
カクマルの権力に擦り寄る卑怯さに耐えながら??
ブンドの悪魔の大惨事に戦き???
結果、
惨憺たる絶望感に打ち拉がれ、大衆を演じている?

孤独も社会的です。
絶望するなよ!
若者よ!

なんで?こんな事を書くかって?

僕(ら)のような絶望を味わって欲しくないからです。
そのために苦労してネットの世界を構築してきたんじゃないのかなぁ…………
少なくとも、僕だけは、そのためだけにネットの世界をうろついている。

ははははははははははははははははははははははははははははは。

徘徊するは、我に在り。

 

 

 

 

 

 

 

 

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