プロ市民は、現場へは行かないものだよ。

ネットで声を大にする?????
そもそもおかしな話なんだけど………………

僕には、
子供がやっと手に入れた反論の道具をオモチャとして振り回しているだけに
見えている。

我が人生は、
ガムを噛みながら、作表の罫線の 「込め物」 を入れて行く手伝いが原点なのかもしれない。
活版ですよ。「込め物」 が足りなくなったら、噛んでいたガムをベチョって!
その前に育った環境が屑屋だったので、スケベな活字から、円地文子の遺稿まで、活字が眼の前に何時もあったんです………………エロ本から学術書まで………………

次は高校生のガリ版印刷で、字が汚いと罵られ………………
大学へ顔を出すと既にボールペン謄写版で、用無しでした。

非鉄屋時代はホットタイプ時代で、新聞社から出た活字を融かし、少しだけ鈴を混ぜ、インゴットにして新聞社へもう一度納入していました。

身体と精神がボロボロになり仕事を探しても障害者の棚に求職票を入れると、どれもこれも非鉄屋の10分の一の給料でした。
で、
和文タイプの障害者の職業訓練校へ入ると失業保険が継続して貰えると聞いたので、入りました。失業保険は歴代最高額でしたよ。とび職の労災保険よりも高かったし、テストドライバーの保険よりも高かった………………

和文タイプ専門職で就職しましたが、女性ばかりで、打たせて貰えるのは大きい活字だけでした。
12枚複写なんてのは、タイプで綺麗に打つのは女性には無理でした。
で、
初めてもらったタイプ印刷屋の給料が安すぎて 『小遣いですか?』 なんて言ったものです。
まあ、部屋の中で、クーラーがあり、大奥みたいですから楽園と言えばそれまでです。

その後、福祉工場に引き抜かれて、写植を打つことになったのですが、自走歩行出来て、言語障害も緊張しなければ出ないから営業に回されました。写植機が重度の障害の人で埋まってしまったからです。
営業は簡単でした。『うちは福祉工場です、他社よりは安くは出来ないです。仕事を出して頂くとそれが福祉になります。』 それで良かったのです。

まあ、色々と軋轢はあったのですが、詳しく書く必要もないでしょう!

写植屋を起業する切っ掛けは我が親父殿の遺言です。
「障害者のために全てを使い切れ!」
でした。
捨てた子に言う言葉としては最高に残酷でした。反帝学評より残酷でした。
それで、
福祉工場の真似事を開始しました。反帝学評の死ねと言わんばかりの自己批判要求書よりも残酷な決断です。

色んなことが、色んな人生にはあるでしょう、が、
僕と同じように、65歳まで産まれてからずっと活字に囲まれている人は、印刷屋の2代目3代目ぐらいでしょう………………でも、現場にいないと意味が無いと思います。ましてや、印刷工が先代であったり自分が印刷工だったりすると、最悪です。
文字の苦しさを知りません。

ははははははははははははははははははははははははははははは。

電子テキスト・脳ー足りん、ですよ。
どーとでもなると言うのは、ある意味知性の墓場になるんです。
ですから、

お読み捨て下さい!

と、

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