太宰治全集を買おうと思ったら、在庫切れ?

序章 親蟹との出会い 吉本隆明 〈今に生きる親鸞〉 講談社 刊 pp.13-14

引用ここから>>

親鸞は真宗の始祖ですが、信仰によって僧侶であったのではなく、理念と思想がたまたま宗教の形をとらざるを得ない時代だったから僧侶であったにすぎません。
また、僧侶だったから浄土門の経典を註釈したのではなく、思想がたまたま仏教の形をとらざるをえない時代だったから、仏教的であったにすぎません。
浄土門に関する限り、親鸞が仏教の終止符を打ったと言っていいのです。
浄土門の思想家として親鸞は、世界的に最後の思想家でした。
また、世界的な宗教者、思想家であると同時に、仏教の解体者、宗教の解体者であると言うこともできます。
仏教を宗教として解体し、一種の思想運動にしてしまった人だと思います。
ぼくは、だからこそ惹かれて、ずっと関心を持ってきました。
親鸞の思想のなかで、時代が隔たっても滅びていないものがあります。
肉食妻帯も、死は不定なものだから特別あつかいすべきでないという考えも、今では誰でも本当だと承認し、実行しているわけですが、遠い中世の初めから現在まで滅びないし、死なない思想で、未来まで持っていける真理です。
千年近くまえに、そうしたことにこだわり続け実行したことなどが、親鸞を偉大な思想家にしているわけです。
マルクスは何世紀に一人しか出ないぐらいすごい人ですが、彼の言ったことは、いまそろそろ危なくなっています。
マルクスは、資本主義が高度になってきて、第三次産業が過剰な資本主義になってきたときに生ずる社会的な問題については、考えなかったかもしれないと思われます。
そういう過程はないのではないかと考えていたのだろうと思います。
あのマルクスでさえ、そうなのです。
レーニンをはじめ、ロシアのマルクス学者は、現在ではどこにも通用するところはないと思います。
思想の永続性を予見することは、それほど難しいことです。
親鸞について、何度書いて、おしゃべりしてきても、まだ言いつくしていない気がしています。

<<引用ここまで。

強調部に欺されて? 市井に行くしか無いと考える?
吉本は優しいのだと僕は考えているんです。
君は君でそれでエエんだよ! って………………
僕はちょっと違うような気がずっとしているんです。
つまりマルクスが、「第三次産業が過剰な資本主義になってきたときに生ずる社会的な問題」 は考える必要が無いと考えたと仮定すると、アメリカ訳の資本論になりますぅ………………
しかしながら、それよりも革命はずっと単純に考える傾向が僕にはあるんです。
純粋にヘーゲルから 【日本的な言い回し】 でマルクスを追い掛けるととんでもない宗派達を産み出すのかも知れません………………
ある造り上げられた概念というか、言葉によってしか論じられないことを僕は桎梏だと思っています。
アカデミズムに銭を投下しても、どうも儲からない??
それじゃあ、面倒だから理系にだけ特化してしまえ!
大きな間違いを含んでいます。
僕はアカデミズムの中にいませんけれど、文系的なものの進化がなければ、理系の進化はありえないと考えています。
学者じゃないので、うまく書けないのですが、高校生の時にカクマル派に成長?する過程の友人と論争したのが懐かしいです。
つまり、UFO で宇宙を飛び回れる異星人の文化は、僕達の貧相な文化より遙かに優れているんではないか………………文化には文学や宗教も含まれます。
科学技術(僕達がそうだと信じている範囲での)だけが進化した生命体だと考えてしまうと、人類は必ず失敗します。

太宰治全集………………ヤフオクで他人が触った本は嫌なんです。
パソコンは何とか現行マシンで最後まで?走れそうなので、予算を全集に振り分けることにしました。
娘2の卒論が 「ダスゲマイネ」 だったからです。
「ん」 の小さい字をダの前にいれないと、津軽弁の 「ん、だすけ、まいねェ」 の意味は解りません。

ははははははははははははははははははははははははははははは。

注文してみます。
明日も飯よりも明後日の文明を!苦しいけれど極北まで酒を我慢だ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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