パーソナルでは無くなったパソコン=Windows10?

第四章 今に生きる親鸞 吉本隆明 著 講談社新書  pp.188-190

から引用>>

「還相」から見た老人問題

現代の日本は高齢化社会です。
この間題に対して、親鸞のいう「往相」の課題、つまり緊急課題は何かといえば、すぐにわかるように、現在、老人病といわれる、死に至る病気に対して、どうやって今よりもよい治療体制をつくり、治療することができるようにするかという医学上の問題が一つあります。
また、老人用の施設をどれだけ増やしたらよいか、予算をどこから出してきたらよいかという問題もあるでしょう。
老人に職業を与えれば、ある程度、高齢化社会の問題も解決するのではないかという課題もあります。
では、この高齢化社会の問題で、「還相」の課題、あるいは浄土的な課題、つまり「永続的な課題」は何かというと、「死」をどう超えたらいいかということのように思われます。
これが親鸞のいう「還相」の課題、浄土の慈悲、大慈悲の課題です。
この永続的な課題に迫り、これを緊急な課題と同時に解くという考え方をとらないかぎり、高齢化社会の問題、人間の「死」の問題は解決しないことは明瞭です。
たとえば、国家がたくさん予算をさいて、社会福祉老人施設をいっぱいつくってくれれば、それが究極の解決かといえば、決してそうではありません。
つまり、老人の問題、社会問題といえども、究極的には、個々の問題に到達したときに解決したということになると思うのです。
もっと具体的に言えば、老人たちが自分たちのやりたいような、一番好ましい生活様式でもって、経済的にも精神的にも生活することが自主的に成り立っていく体制がとれるというところができたら、社会生活の問題としての老人問題は、はじめて死の問題を超える糸口に入ったことを意味すると思います。
決して、社会施設が増えてきて、そこに安心してまかせられたら老人問題は終わりかといったら、それは究極の解決ではありません。
究極の解決は、その老人一人一人、あるいは夫婦一組一組が、心身ともに、経済生活も含めて、全部自分たちの様式、やり方をとりながら、いままで当面してきた問題、つまり、生老病死*の問題において、人間が当面し、経験してきた問題が解決してきたときに、老人問題、社会的問題が解決したというふうに言えるのだと思います。

生老病死(しょうろうびょうし)
人間がこの世で逃れることのできない四つの苦しみ。
生まれること、老いること、病むこと、死ぬこと。
四苦。

<<引用ここまで。

成長しか経験したことのない馬鹿者達は、衰退を想像出来ない。
まあ、
そう言う意味で 【敗北的前進?】 を実践してきた新左翼の方がグローバリズムになじむんではないだろうか?
人口の減少は想像以上に急激だと思うし、
交通事故で死んだ人が65歳以上だったら、役人はほっとするのかもしれない。
逆走??? 巻き添えが年寄りならそれでエエと考えるだろう………………

自動運転も65歳以上が運転すると人里離れた山奥へ移動し、崖からボーンって !!

遺族年金の全面廃止!
放射線に耐えられる人材を!
過疎地の徹底的な過疎化!
地方小都市の都市化!
農業は園芸レベルに!
しょ、障害者を農業に活用せよ!

ははははははははははははははははははははははははははははは。

非人間的になっている自分を感じなければ、なめくじ以下です。
ははは。
Windows10 嫌い!

 

 

 

 

 

 

 

 

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