我が母方の婆ちゃんは西田の京都での女中だったんよ。

高峰譲吉の繋がりで、研究費の保証人関係で巻き添えを喰らい、庄屋様の家は破産し、そこの次女だったんです。
本家の酒蔵も歴史の彼方です。
それで、幼い婆ちゃんは奉公に出されたのです。
これは、庄田常勝氏のご母堂が鶴来出身で、彼と僕が分析した結果です。
僕は、婆ちゃんが 【京都風の味】 だったのにどうしても納得が出来ず、もやもやとした思春期を送っていましたよ。
報恩講さんと言うのが近所の家の持ち回りであり、その時に耳が腐るほど蓮如上人の功績を聞かされました………………
我が家は 「西・本願寺」派で、「東・本願寺」派とは、仏壇の柱の色が違います。
何故なのか?解りませんが、「お西さん」 の仏壇は多少豪華で、柱は丹銅箔です。金箔ではございません。造りもかなり違いますが、解っている人は殆どいないように思います。
孫である僕を教師にしたがっていました。
外孫は2人とも無事に教師を勤め上げたようです。
婆ちゃんの 【トラウマ】 完結編でしょうか?

何か? 「役」 に立つかな?

僕が狂った果実のカクマル派に近付いた理由のような気がします。

歎異抄 野間宏 私の古典 筑摩書房
乱世のなかの泰平と『歎異抄』  pp.222-225

引用ここから>>

親鸞は『高僧和讃』のなかで、自分の専修念仏(せんじゅねんぶつ)の教えが、源信・法然をうけつぐものであることを明らかにしているが、源信、法然いずれも、貴族社会の崩壊するのを眼にしてきた人たちであって、するどい末法(まっぽう)意識の持主たちである。
しかし、その末法意識は、源信よりもさらに法然において、法然よりもさらに親鸞においてという風に、一層深められ、それが親鸞においてきわまるのは理由のあることなのである。
源信も法然も、ともに戦乱のなかに生きたのである。
そして戦争は、このいずれにも大きい影響を与えている。
源信の『往生要集』は、その無常感を深くだしている。
また法然の無常感も同じように深い。
しかし、源信の無常感になお鋭(するど)さがないのは、私は源信に権力を握るものに対する、一定の強い態度がないところからきていると考えるのである。
法然、親鸞はいずれも念仏者の弾圧によって配流(はいる)の罪におとされ、そのなかで思想と権力との問題について、体験をもってぶつかっているのである。
法然、親鸞の念仏に徹(てっ)する考えの底には、さらに戦争を考えつくして、戦争を行なうものに対する、一定のはっきりとした戦闘的といってもよい態度を定めたものの思想というものがあると私は考える。
しかし、法然は鎌倉幕府が成立したとはいえ、なお戦乱のおさまりきらない時になくなったわけで、ついに戦後に生きることがなかったのである。
しかし、親鸞はその半生を戦争のなかに生きたとはいえ、四十九歳の時から戦後に生き、戦争の体験そのものに徹してしかも戦争そのものから、人間を解きはなつ時代の課題を、自分の前に置かなければならなかった。
末法の世のなかに沈み切って、いかにして末法の世から自分を解(と)きはなつか、この問題に戦後において向った親鸞は、法然とはちがってまったく積極的に、人間のすべてを見ようとする。
その罪と悪を犯しつづけなければならない人間のすべてを、ありのままに認め、そこから出発しようとする。
そして念仏をもって、その人間と如来の本願とをつなぐのである。
そこに親鸞の法然において見られることのない現実肯定(こうてい)の戦後思想があるのである。
現実は末法の世の現実であって、汚濁(おじょく)しきっている。
人間そのものもまた、罪と悪をはなれること難(かた)い人間である。
その人間を、そのままはっきりと見、その現実の上に立って、その人間がとうてい達することのできない彼岸(ひがん)に、人類的〈彼岸〉に念仏によってつなぐのである。

しかし、このような戦争をくぐりぬけた親鸞の教えは、戦乱が一応おさまり、さらに蒙古(もうこ)の襲来(しゅうらい)をしりぞけて泰平がもたらされると、次第にあやまって伝えられることとなる。
人々の眼はくもり、人々は戦争のなかにあった人間からはなれて、ただ日々の小さい生活につながれ、ついにはその生活に思想を従属させることとなる。
『歎異抄』の著者は、そのようなまちがった考えが流布(るふ)されるのを見、聞くにいたって、ついにだまっていることはできなくなったのである。
そしてかれは、戦争のなかにおかれた人間を、ありのままにじっと見ることによって、ほんとうに思想を人間のものにした親鸞から、遠くはなれてしまった人たちの大きな誤まり、それをただすために、ただ親鸞にかえることを主張し、真実の親鸞の像を人々の前に刻(きざ)んで置いたのである。
その親鸞は戦争をくぐりぬけ、その戦争をくぐりぬけた体験をあくまでも内にたもって、戦後を切り開いた親鸞である。
このような成りたちをした『歎異抄』である故に、それは今日の日本人の心に、深くはいってくるのである。
ベトナム戦争の拡大とアメリカ軍の後退、そしてポンド・ドル危機、フラン危機による資本主義体制そのものの根底からの動揺など大きな問題を前にして、人々はようやく今日の日本の泰平ムードから脱(ぬ)け出ようとしているが、なお多くの人々の眼は幕でおおわれているといってよい。
『歎異抄』のモチーフは、泰平のなかで戦争をくぐりぬけた自分自身をはなれて、日常のなかに埋没(まいぼつ)した人々の心に怒りを発し、火を噴(ふ)いているともいえる、しかも静かな親鸞の姿を、人々の眼の前に明らかにしている。
それ故に、今日の日本を媒介(ばいかい)にして『歎異抄』を通って親鸞のなかにはいるのも、また『歎異抄』を通って親鸞のなかにはいり、それによって今日に徹するのも、なお今日の多くの人々には困難だろうが、今日『歎異抄』を読むということになれば、戦後二十何年かをへた今日の日本の泰平の問題を解き、その底に大きく見えはじめている人類の課題にせまらなければ、『歎異抄』の著者の心をみいだすということはできないだろう。

<<引用ここまで。

泣きそうになるでしょ?
真宗大谷派のページで、第一章を漢文でお読み下さい。
きっと、泣きます。
いいえ、
絶対に泣きますから………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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