考え込む・僕。

最後の親鸞 吉本隆明 著 春秋社 刊 より引用>>

『一言芳談』によれば、教信は、庵の西には垣もせず、西方極楽浄土と素通しに向きあうようにし、本尊などは安置せず経文なども読まず、「僧にもあらず、俗にもあらぬ形」で、つねに西方にむかって念仏していた。
教信の所業について親鸞がもっていた口伝えは、もっと肉づけが豊富だったかもしれないが、骨格は、これとあまり変らなかったと推定してよい。
この教信像には、当時の遁世者流にくらベていくつかの特徴が認められる。
教信は、当時の典型的な捨て聖といえるが、髪を剃った僧体をとらず、妻子と同居していた。
かれは経文を勧進して喜捨を乞う流行をふまず、田島を耕す手伝いや、旅人の荷物を運ぶ手伝いをして生計をたてていた。
また、本尊の仏像・仏画のたぐいを飾るとか、経典を執持することをしなかった。
そして死後は、じぶんの屍体を鳥獣に喰わせた。
当時の捨て聖の一般的な像からいえば、これらは、驚くべき特徴であったといえる。
教信が、興福寺の碩学だったという伝がただしいとして、〈知〉と名跡を放棄し一介の念仏者となって草庵にこもったというところまでは、流行とかわっていないといえる。
〈妻帯〉とか〈子〉をもうけるとかは、当時の僧侶のたれもが、蔭ではこそこそやっていたことかもしれない。
また、無数の無名の聖たちも公然あるいは非公然にやっていた、とみてよい。

<<引用ここまで。

「家族葬」 は 「家族・争」 に発展するかもしれない縁起(契機かな?)を含んでいます。
「個」 が 「個」 でありたいのと、風習とは乖離を孕んでいます。
団塊の世代の 「個」 とは?何?
【後を継ぐ者】 という屁理屈を盾に隠遁した僕は、何を言う資格もないのかもしれません。
フランスでも、折角手に入れた 「個」 を簡単に燃えて、ジュッって、「皆」 になってしまいますぅ……

僕は、ただただ 「俗」 であると言ったら、『テメエは、絶対に違うぞッ!』 って、普通の人?に言われました。
「俗」 が変容する瞬間を見てみたくて、生きているのかもしれません。
【じぶんの屍体を鳥獣に喰わせた】???
死んだ後のことは知ったことではありません。
「個」 は 「国家」 が葬らなければ、制度は意味がありません。
「家族葬」 は 「国家葬」 に止揚すべきかな?
観念論かな?

神津さんでも、曲解があるのかなぁ………………?

ははははははははははははははははははははははははははははは。

よー解らんけど、一応、読み進めておきます。
夕べには白骨ですから。
僕もそうですが、ご存じのように??
哲学の 「言葉」 そのものを革命的?に全て作り直さなければ、ポスト・モダニストと同じで納得しません。
ひ・ら・が・な の哲学を !!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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