前衛の頭の悪さは致命的である。

故・庄田常勝 氏 と良く話し合った………………
自分の事を 【前衛】 だと思っているから仕方が無い………………
彼ら? の統一した言い方がある。
『それは、何々で、なんとかの時期に経験済みだ。』
なんで?
俺と貴方の経験が同じだと言えるのか?あはん?
マルクスの何行目の何処に書いてある?誰の訳で?元本は?あはん?
おまえがマルクスの後を継ぐと誰が証明するんだ?署名は?あはん?
個別の問題?なんで個別と言えるんだ?あはん?
ぼ、僕の言葉では無い。断じて無い。

彼は、高校2年の時に脳内に腫瘍が出来て、2年次を2回過ごした。
脳圧が歳を取って上がってしまい、自転車で酔っ払い運転をして、点字ブロックで脳にダメージを受けた。血を抜く銭も無かった………………で、腐乱死体で机の前でという夢は叶わなかった。
風呂屋で亡くなった。
パトカーが来て、大変だったらしいけれど、詳しくは知らない。

僕は一つの 【知】 が 【方法】 が極貧の中で死滅したと思っている。
彼は自動車を嫌った。
ツール・ド・フランスの実況を一緒に観た。
デリダにメールした。
アームストロングの薬物問題には落胆していた。
僕も落胆した。僕はアームストロングの熱烈なファンだった。
アメリカ人がヨーロッパ人に勝ったからだ。
ベルギーからの留学生は、彼のフランス後を 「美しい」 と言った。

ザ・金沢・一泉同窓会・物語、なんだろうと思っている。

色々な哲学関係の人を 「ちゃん」づけで呼んでいた………………流石の?僕もびっくりした。
『うそでしょー!? そんな偉い先生をカナメちゃんって!』

ははははははははははははははははははははははははははははは。

一円の年金も受け取らず死んで逝った。
僕とはえらい違いでですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広告
カテゴリー: 未分類 パーマリンク

前衛の頭の悪さは致命的である。 への3件のフィードバック

  1. 朴木 哲朗(ほうのき てつろう) より:

    こんばんわ。庄田常勝さん、お風呂やさんで亡くなったんですか。年金を受け取る前ということは、60歳前ですよね。とてもショックです。高校2年を2回やったというのは初めて知りました。大学のときは、庄田さんが1学年上だったけど、年は2つ上だったから、あれ?と思っていました。一緒にデリダをちょこっと読んだこともあるし(難しかった)、浅野川沿いの自宅に何回も泊めてもらったし、山崎ハコのコンサートを一緒に2回ほど聴きに行ったし(2回目のコンサートの後、仲たがいしてしまい、その後は付き合うことができなくなってしまった)、いろんな思い出がありますね。全部40年前の話ですが。野球やテニスやギターが上手で、ほんとにすごい人だなと思いました。

    • mitizane より:

      庄田 氏と仲良く出来たのは凄いです。最晩年は自分で関係性のある人と片っ端から喧嘩をして、無理に孤立していったみたいです。僕は喧嘩はしませんでしたけど体調を壊して瀕死の状態でしたので2ヶ月ぐらい逢えなかったんです。ある意味でお茶目な一面のある人でした。まあ、仲たがいをして当たり前と言うか、どう言ったら良いか解らない凄い人でした。ボブ・ディランでも聴いて偲ぶしかないです。得意中の得意でしたよ。ヨーロッパの片隅でギターのケースを拡げて、今でもこの世にいるように思います。
      彼はフランスのレーゲンスブルクへ留学して、デリダ・コロックにサラ・コフマンさんとか凄い人達と参加したそうです。
      僕は妙に気が合って『馬鹿話』をするのが楽しかったです。

  2. 朴木 哲朗(ほうのき てつろう) より:

    いろいろと情報ありがとうございます。レーゲンスブルクはドイツの都市でした。なんとなくドイツっぽい名前だったので、検索してみました。あるHPではレーゲンスブルク大学は金沢大学と交換留学協定を結んでいると書いてありました。
    40年前のことなので、うろ覚えですが、一緒によく飲みに行きました。片町の「ぴるぜん」とか、片町のジャズのお店とか、もっきりやとか。当時、金沢大学には哲学の先生が4人いて、それぞれ、ドイツ哲学、イギリス哲学(分析哲学)、インド仏教、日本仏教(日蓮)の先生で、フランス哲学の先生はいなかったです。自分はなんでこんな大学へ入ったんだろうと思いました。自宅からあまり遠くなかったから、また、運よく入学試験に合格したからかもしれません。フランス哲学をやりたい学生は数人いて、庄田さんが先生の代わりみたいな感じでした。庄田さんは1学年上だったんですが、卒業は私より1年遅いので、結局、2年留年したことになります。その後、庄田さんは大学院へ進学されたんですが、昭和52年12月15日の石川厚生年金会館での山崎ハココンサートの後、仲たがいしてしまい、その後、昭和63年3月に大学の先生が退官される記念会で再会しましたけど、その時は、庄田さんと言葉を交わした記憶がないです。
    昨年秋、金沢市内をぶらぶら歩いていて、庄田美容院の前を通ったのですが、美容院はなくなっていて、アトリエ?みたいな感じになっていました。お兄様の庄田常章さんが使っていらっしゃるのでしょうか。お兄様とは一度お会いしたことがあり、庄田さんから版画を1枚買わされました。
    私の話で恐縮ですが、2年前から富山大学へ通って、フランス語の勉強を再開し(小説を読んでいます、現在はプルースト)、今年秋から、週1回、哲学の講義も受け始めました。これからは、庄田氏をしのんで、フランス語と哲学の勉強をしようと思います。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中