革命に恋も出来ない閉塞感

負荷される体積の中を自由だと叫んで泳ぐのかなぁ………………
他党派を罵倒し、仕返され、腐った紙の上の理論を科学だと信じ………………
経験を対象化し、物象化はせず………………
常識に打ち拉がれて人間と言う同位体の大きさで他者を論じ………………
明治の文人の無理矢理なこじつけ的西洋を西洋と信じ………………

まあ、
革命に恋を出来ないような馬鹿は、
僕はどーでもエエ。

みたまえ!これが資本主義の構築したものだ!素晴らしいじゃないか!
って、
トロツキーを連れてロンドンを案内したレーニンの 『その時点での感慨』 の深さを忘れ、
きちんと批判も出来ず、肯定も出来ず、
大衆になりきることなど不可能なのにグチャグチャ言いながら死んでいく………………

僕は嫌でも革命に恋をするしかなかったに過ぎない。
哲学者の真似をして 【それらしいものを書く】 という嫌らしさは、現実的では無いような気がする。

理論的では無くても、感性の無限の解放は当たり前で、情緒的であるわけでも無く………………

革命に恋を出来ないような奴は、
人間じゃねえや!

と、思えてしまう。

ははははははははははははははははははははははははははははは。

朝、5時半、南海トラフの地震の夢を観た。
女房殿と同じ 「夢」 だった。
今から仕事。

 

 

 

 

 

 

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