裁判所に行ったら魑魅魍魎の霊を感じて今日は気分が最悪だ………………

建物はガラス張りで綺麗で、植栽も素敵で、集まった人達もお年寄りが多く、それは問題が無かったんだけれども、あの空間には、
「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」 が存在しないように思えた………………制度病の病原菌が僕を襲う………………仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌を併せて 【公】 というのだらふか?
それで、今日は、何時もよりも頭の回転が悪い………………泣く程悪くなる瞬間を感じて、そろそろかなー? って、思っている。
人は 「徐々に死んでいく」 けれど、健常者には多めに忘れて暮らすことが赦されているように考えている。
歯は抜け、髪は薄くなり、足腰が弱り、固定観念が同じ場所を回転し、御飯は零す………………

朝、エンゲルスの 「序言」 を読み返すと 『あれっ?』 って、思った。
微妙なマルクスとの 「乖離」 を感じる。
シャロック・ホームズとワトソンじゃないけれど、なんだか妙な気持ち悪さを感じている。
右京さんと相棒………………頭脳派と肉体派→頭脳派と論理派→頭脳派と感性派→次は何だろう?
以下はメモ代わりです。ご賞味あれ!

ははははははははははははははははははははははははははははは。

賞味期限………………無理に切らしては科学的では無い。

 

賃労働と資本 カール・マルクス 著 長谷部文雄 訳
岩波文庫 白124-6 ISBN4-00-341246-X
pp.29-31 『前書き』 1891年4月30日 ロンドンにて フリードリヒ・エンゲルス

引用1ここから>>

経済学者たちが「労働」の生産費だと思ったものは、労働の生産費ではなくて、生きた労働者そのものの生産費であった。
またこの労働者が資本家に売ったものは、彼の労働ではなかった。
マルクスはいう、───「彼の労働が現実に始まるや香や、それはすでに彼には属さなくなり、したがってもはや彼によっては売られえない」と。
だから彼は、たかだか、彼の将来の労働を売ること、すなわち、一定の時に一定の労働給付をなす義務を負うことができるだけであろう。
だがそれでは、彼は労働(これはやっとこれから行われるはずだ)を売るのではなくて、一定の時間にわたり(日給〔時間賃銀〕の場合)または一定の労働給付の目的で(個数賃銀の場合)一定の支払とひきかえに彼の労働力を資本家の自由にさせるのだ、-すなわち彼は、彼の労働力を賃貸または売却するのである。
だが、この労働力は彼の人格と癒着しており、これから不可分である。
だから労働力の生産費は、彼の生産費と一致する。
経済学者たちが労働の生産費と名づけるものは、まさに労働者の生産費であり、したがってまた労働力の生産費である。
かくしてわれわれはまた、労働力の生産費から労働力の価値にたち帰り、そして、マルクスが労働力の売買にかんする節(『資本論』第一巻、第四章第三節)でやったように、一定の賃をもつ労働力の生産に要する社会的必要労働の分量を決定することができる。
さて、労働者が彼の労働力を資本家に売ったのち、すなわち、ある予約された賃銀───日給または個数賃銀───とひきかえに彼の労働力を資本家の自由にさせたのちに、何がおこるかて資本家は労働者を自分の作業場または工場につれこむのであって、そこにはすでに、作業に必要なすべての対象物が、すなわち原料、補助材料(石炭、染料など)、道具、機械がそなわつている。
ここで労働者はこんかぎり働きはじめる。
彼の日給は前述のように三マルクだとしよう、───そのさい、彼がそれを日給でかせぐか個数賃銀でかせぐかば大した問題ではない。
われわ
れはここでもまた、再び、労働着は十二時間に彼の労働によって、消費された原料に六マルクの新価値を付加し、この新価値を資本家は完成品の販売によって貨幣に換えるものと仮定しょう。
彼はそのうちから労働者に三マルクを支払うが、残りの三マルクは自分で取ってしまう。
さて、労働者が十二時間に六マルクの価値を生みだすとすれば、六時間には三マルクの価値を生みだす。
だから彼は資本家のために六時間はたらいた後には、資本家にたいし、労賃として受けとつた三マルクの対価をすでに補償しているのである。
六時間の労働ののちには、双方が勘定ずみで、どちらも相手に一文の借りもないのだ。
「まてまて!」とこんどは資本家が叫ぶ。
「私は労働者を、一日間、十二時間、雇ったのだ。ところが六時間では半日にすぎない。だから残りの六時間が終るまでせっせと働け、───そこで初めてわれわれは勘定ずみになるのだ!」
と。
そして労働者は、じっさい、彼が「自由意志で」結んだ契約に従わねばならぬのであって、この契約によれば、彼は、六労働時間を要する労働生産物とひきかえに、まる十二時間はたらく義務があるのだ。

<<引用1ここまで。

pp.108-110 カール・マルクス(青文字にするところが粋でしょ?)

引用2ここから>>

第七節 労働組合

人口論における一契機は、それが労働者間の競争を減少させようとすることであった。
労働組合はこの競争を止揚し、それに代えるに労働者間の結合を以てしようとする目的をもっている。
経済学者たちの次ぎのような組合反対論は正しい。
(一)組合が労働者たちに負担させる費用は、たいてい、それが獲得しようとする利益よりも大きい。
組合は継続的には競争の諸法則に反抗しえない。
かかる団結は、新たな機械、新たな分業、ある生産場所から他の生産場所への移転を生ぜしめる。
これら一切のことの結果は、労賃の減少である。
(二)団結により一国で労働価格を高めることができて、そのために利潤が他の諸国における平均利潤にくらべて著しく低下するとか、資本の増大が阻止されるとかいうほどになれば、その結果は、産業の停滞および後退であり、労働者たちは彼らの主人と共だおれするであろう。
けだし、われわれがすでに見たように、それが労働者の状態なのだから。
労働者の状態は、生産的資本が増大する場合には飛躍的に悪化する。
そして彼は、生産的資本が減少するか停滞したままでいる場合には、最初から没落しているのである。
(三)ブルジョア的経済学者たちのこれら一切の異論は、すでに述べたように正しいには正しいが、しかし彼らの見地からしてのみ正しいのである。

もし労働組合における現実の問題が、ただ、問題らしく見えること、すなわち労賃の決定だけであって、労働と資本との関係は永遠的なものだとすれば、これらの団結は必然的に成功しないで挫折するであろう。
だが、労働組合は、労働者階級の結合の手段であり、階級対立をともなう旧来の全社会の転覆のための準備手段である
そしてこの立場からすれば、この内乱により労働者たちが戦死者や負傷者や金銭においてどれだけの犠牲を要するかを彼らのまえで計算して見せる賢明なブルジョア的学校教師たちのことを、労働者たちが嘲笑するのは当然である。
敵を撃破しようとする者は、敵との戦闘の費用を論議しないであろう。
そして、労働者たちの胆っ玉が小さくないことは、最もよく支払われている労働者たちが大抵の組合を作るのだということ、および、労働者たちはその賃銀から節約しうるすべてを政治的および産業的な組合の結成やこの運動の費用の支出にあてるのだということが、経済学者たち白身に証明する。
そしてもし、イカサマ博愛家たるブルジョア諸公や彼らの経済学者たちが、労賃すなわち生活の最小限中に幾らかの茶やラム酒や砂糖や肉を含ませるほど慈悲ぶかいとすれば、彼らにとっては、労働者たちがこの最小限中にブルジョアジーにたいする僅かばかりの戦費を算入すること、および、

彼らがその革命的行動を事もあろうに彼らの生活享楽の最大限たらしめることは、むしろ破廉恥な、理解できないことと思われるに違いない。

<<引用2ここまで。

 

 

 

 

 

 

 

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