勝ち組はこういう本を無造作に買っても、読まないのだろうか?

謎は深まるばかりで、底が知れない。
向こう側の人達は、こういう本を無造作に買えるのか?
「無造作」 には買えないのだろう………………
そっと図書館の 『どういう本を揃えたら良いですか?』 というアンケートに書いてくる。
悲しい・爺さんになってはいけない。

フランス語が苦手でも構わないと思う………………片っ端から読んでいるとそのうちに
【お・も・て・な・し】 て、くれる??
ホントかな………………?

僕は庄田常勝氏から貰った………………なんせ、他人に無理矢理に本を読ませようとする人だった。迷惑なんか、お構いなしだった。
きっと、物凄い孤独を感じ、少しでも光が差す処へ想いのたけを遺したかった?のだろうと思う。
くれぐれも、
本は買って読まないと、「身」 にならないと思いますよ。
法律違反寸前の引用を繰り返す行為の孤独………………

ははははははははははははははははははははははははははははは。

サラさんに比べたら、屁みたいなもの? かも知れない、ね。
追悼する相手ももうみんな死んだ。

 

 

サラ コフマン賛 未知谷 刊 ISBN4-89642-133-7
女はいかに哲学するか フランソワーズ・デュルー 木村信子 訳
pp.132-135

引用ここから>>

一九九四年十一月十七日記

サラ・コフマンは亡くなった。
六十歳だった。
現代にあっては若い死だった。
それは自殺と呼べるもので、私の嫌いなことばだ。
彼女は私の知らない理由で死を望んだ。
私は個人的には彼女を識らなかった。
彼女が自らのり出した『オルドネル通り、ラバ通り』の探索のあとで、生きながらえることはありえなかったのかもしれない。
彼女は、それ以前に、哲学者として、女性問題について、というよりはフロイト、ニーチェ、コントら思想家たちと女性について、数多くの研究をしていた。
そうした研究を彼女はひとりで、哲学の原則上必要とされる理論面での孤独のなかで成しとげた。
彼女とコミュニケーションをとるのは非常にむずかしかった。
彼女は現存する世界、教師や(大学〉の世界を強固なよりどころにしていた。
おそらくはそのせいで、また同時に派閥のせいで、彼女は死んだのかもしれない。
私たち女性は数年前きわめてゆるやかな組織をもっていた。
そこでは、私たちに禁じられた話、つまり自分の恋愛や失敗や説明しがたい無力などの話をすることができた。
そうしたことを話す場所はもうない。
そのような場所は、若い女性たちにとって、また私たちのような年長者の何人かにとってはとりわけ、ばかげているとさえ思われている。
彼女たちはあきらめるというより、ただ生きのびたり一時的な成功をするのと同じ妥協を決めこんでいる。
自殺は完全に個人的なものゆえ、英雄的な決着だ。
そして、墓地で人々が述べたことばはみな、サラが自殺したその生の行為を讃えるものだった。
私は疑問に思う。
死は、自殺でさえも、最後の決着であり、人はその決着に追い詰められ、また強いられていくものなのだろうかと。
サラ・コフマンの最近の文章を読み返して、あることばが何度も使われているのに胸を打たれた。
孤独、ということばである。
『爪で引っかいて書いた自伝』の牡猫、ムルの孤独。
思考の孤独、書く行為の孤独。
というのも、思考する女たちの共同体─口外できるできないにかかわらず─、そんなものは存在しないからだ。
口外できない共同体というのは、私たちが体験したことのない贅沢である。
それは自明の共同体、公然の、公開された共同体を前提としているからだ。
そのような自明の共同体に入ることが、いまなお社会的・政治的な成功、大学での成功に必要な条件となっている。
しかしそうした共同体で、女たちは今も、多少とも部外者的な、場違いな立場に留まっている。
そして支払うべき代価は、死ぬほどの孤独である。
意気揚々たる個人主義も、強固な共謀、根本的に不平等な世界の共謀に支えられなければ、居心地の良いものとはならない。
そうした共同体の真向かい、あるいは傍らにある「逆説的な階級」、個々にしか存在しない女たちの階級は、狂気か死かの選択しかできない。
テロワーニユ・ド・メリクール〔ベルギー出身の革命家。フランス革命で活躍したのちパリで狂死。一七六二~一八一七〕の狂気か、サラの死か。
あるいはまた主流の共同体に加入するか。
ニコル・クロード・マチューは、次のような意義深い人類学的な事実を報告している。
パプアのガンジ族では、夫婦喧嘩で自分の言動が夫に否認されたと思う妻に残された道は、公衆の面前での自害である。
夫は妻を全面的に保護する義務があるが、妻の命は夫の供述にかかってもいるのだ。
女の自立とか女の共同体といった選択肢などまったくない。
自殺が勝利であるかのように受け取られないために、いくつか考えたことを示しておこう。
アンティゴネ〔ギリシャ悲劇中オイディプス王の娘で、兄弟の遺骸を埋葬するという禁を犯し投獄され、自害〕もおそらくは生きたかったのだ。
自殺は口に出せなかったことばの、最後の無言の行為である。
『オルドネル通り、ラバ通り』を読むと、サラの幼年時代を織りなした愛や女の友情について、もっと他のたくさんのことが言えるだろう。
ニーチェやオーギュスト・コントについての彼女の読解を読むと、結局ほとんど大学人らしくないもので、私たちが共同でもっていた問題点を突いている。
といっても、私たちの共同体が具体化することは決してなかったのだが。
彼女は私たちから去ったと言えるだろうか。
彼女が去ったのは私たちからなのか。
それとも、「書くこと、書くこと、それが何であろうとも、死ぬまでも」を至上命令とする、公然たる共同体からなのか。
タイトルの問題が残っている。
ジャック・デリダは今日、タイトルはないと宣言した。
私は最初「サラ・コフマンのために」と書き、次に訂正した。
というのも、彼女の思想や哲学研究を彼女の独創性のなかで考えることが必要だと思えたからだ。
そこで、「女はいかに哲学するか」としたのである。
すでに述べたように、私たちは、巡り合わせから、また根本的な理由で、面識がなく、すれ違うことさえなかったが、彼女の死、自殺は、私の心を揺さぶった。
なぜなら、彼女は死ぬほど孤独だった
がその原因のすべてを彼女自身が自覚したわけではない、と私は思ったからだ。
たしかに、思考する孤独は、彼女の最後のニーチェについての理論的テクスト〔『爆発』〕の核心にあった。
そこで彼女は、聞く耳を持たないドイツ人の態度をニーチェが嘆いたと注記している。
彼はそれに「偉大であることの孤独」によって抵抗した。
その孤独は、聞いてもらえなくても、「誤解」されてもしかたない人との隔たりで、迫害妄想症の態度である(「私は絶えず中傷されている」)。
愛されるためやみんなと友だちでいるためのどんな譲歩もしない態度だ。
しかし、原因のすべてがこの思想家のパラノイアに帰されるのではない。
私が共感(シンパシー)するのはそこなのだ。
サラ・コフマンは、イデオロギー上「フェミニスト」ではなかった。
彼女はそれから身を守っていたほどだ。
その防衛が、哲学研究をする彼女のやり方と矛盾して、彼女を逆説的な位置に導いた。
彼女はフェミニストではなかった。
が、私は、何に関して、どんな理由で、彼女の研究が哲学を職業としない者も含む「フェミニストたち」によって提起された問題と結びつくのか示してみたい。
性的差異の問題はかつて神学上の問題だったが、いまやきわめて哲学的な問題になっているという意味で、すべてのフェミニストの内に理論家が目覚めているからである。
サラ・コフマンはある日「リミット・フロンティエール」というセミネール(制度とは関係ない考察の場)で発言したことがある。
討論は熱のこもった、実り多いものだった。
全体として、かたくるしくない会合で、問題も、哲学的操作による性的差異の排除について事情はどうなっているか、という共同のものだったからだ。

<<引用ここまで。

 

 

 

 

 

 

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