言葉や文字に関わるとやばい事になる。という人類の共通直感を感じる。

進化の過程で言葉を生み出し、発展させ、やがて死滅させるという構造が最初から備わっているような気がしている。
特に 「活字」 を自由自在?に操ることが出来るようになった時代は、次の時代への過渡期であるんだなあ………………なんてことを考えている。
特に日本では 「縦書き」 の構造しか持たなかったものが 「支配欲」 の果てに 「横書き」 に変換されて、毛頭に従順になったような気がする。
ソ連や漢民族に 「消されてしまったモンゴル文字」 のように日本でも直に消されるような気がしている。
白鷺城は、薄汚れて行くから意味があるようで、永遠に白かったら誰も守ろうと思わない。
常に 「破滅」 を前提とした時間軸を 「想定」 しなければ 「思念」 そのものの対象化は不可能な気がする。
けだし、(フルッ!) 素敵な観念論って、出来ないのだろうか?
抹香臭いのはご免だ。

「マル・エン全集」 って言葉だけで疑問だった、僕。
哲学の 「共著」 …………あれぇえええ?…………って、思ったのよ。
「マルクス・レーニン研究会」 ………………と、殿、ご乱心なさったのか? ってな、もんよ。

別に 『マルクス遺稿物語』 読まなくても、直感でそう思っていた。
マルクスのイライラ感が、手紙から読み取るには邦訳では無理があるような気がする………………
『あいつ!よくやってくれるけど………このダイナミックな弁証法が解ってないんだから…………』
そう読み取れるようになってきた………………

せんでもエエこと をやりたがるのもまた、人類の言語を持ったことによる 「さが」 なのよ。

ははははははははははははははははははははははははははははは。

みんな常識の内側に居たいから、本を買わないのよ。
関わるの、ヤーっだ、って!

 

 

 

 

 

 

 

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