第一次的なパッションや知性を忘れたカナリヤは、悲しい。

現実の切迫感と理念との 「差異」 について、考えていた。
「差異」 を押し上げるのは 「冗談のような理性」 なのだろうと、思う。
だから、
僕は、
冗談は理性だけにして………………と、言い続ける。

現実の置かれている 「野蠻」 さが見えない知性は可哀想だ………………

僕が僕であろうとした恥ずかしさを忘れては困る。
僕が僕であることは、僕が人類の一人であることよりも恥ずかしいのかも知れない。
宇宙は恥部を隠して、
『イヤーン、いけずぅ!』 って、言うのだろうか?
言って欲しい………………言わなければ宇宙っぽくない………………
いいや、
言うべきだ。

ははははははははははははははははははははははははははははは。

僕は、バタイユでは無い。
長考している内に、時は流れる。

 

 

 

 

 

 

 

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