貧困問題とMultitude

Multitude ?
はて、さて、どうしたものやら………………
「アホ」 に 「もの」 を考えさせる 〈契機〉 なんだろうか?
もちろん、僕がここで、〈契機〉 と書くのは、景気と掛けてある訳でしてね………………
フランス語じゃないんだから、言葉遊びや造語は結構、かっこう悪いのであった………………
「結構」 と 「かっこう」 は、むろん掛けてある訳で、
別に 【賭け】 ではない………………
門前の哲学小僧?だったら、これだけで、「男根・正午の・唯一神の・馬鹿笑い」 と、
納得出来るし、
永劫回帰を階級闘争の歴史を否定する 「道具」 に使おうとする、
いやーらしい 「意志」 を感じなければ・ならない。
デリダは、ハイデガーの 「いやらしさ」 を証明する気は最初からなかったようだ。
なぜなら、「相手にならん」 程の 「もの」 でしかない程、概念が硬かったからだろうと推測している、僕、趣味の哲学、フランス語門前の可愛い妖精!?
妖精!?よせやい、って、言わないでね。
この辺が、本格的な階級闘争を経験せし者と、階級闘争で飯を喰おうとする 不埒な輩 との  違い?なのかもしれない。
なんのこっちゃ!!

他者の 「音」 を聴く 「耳」 は巨大で、身体はチンケなんだろうか?
違う気がする………………

Multitude と概念を外側へ持っていく志向性は、スピノザの意図に反して? か?
即して? かは知らないけれど、
『解る気になってはいけない書かれし・もの』 であるような気がする。
自意識の中で 『亡霊』 は、未だ思念として確定すべきではない存在として、書き出されたような気がする……………………

「それしか方法が無い科学的方法」 というのは、言葉の矛盾に常に曝される。

科学を科学自身で否定していくのが常に施政者の思惑で、
何故かと言うと 「施政」 というのは、最初から論理矛盾を内包しているからである。
Multitude ですから………………
文系を無くしても、理系が勝利する訳でもない。
自然を無残に切り取り、細分化し、都合の良い方へこじつける?
そういうことがあってはならない。

僕は 「弩ツボ」 から這い出ることは許されないような気になってしまっている。

ははははははははははははははははははははははははは。

ネグリの 『スピノザとわたしたち』!?読まないほうが良いように思う、
すっぴんの座る・僕・男性。

 

 

 

 

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