貧困問題と前衛病

なんとかしようともがき、結論を急ぐ。
かならず 「コケル」 のが前提であるような気がする。
「意識的人間」 というのは 「既に生きる知恵を持っている人」 であり、
その人間と、障害者や貧困者は利益が一致しない。
つまり、知恵者はいずれ何かの過程で解決する問題であるに過ぎないと、切って捨てるからである。知恵者とそうでない者との利益が合致することは在り得ない。
何をどう展開しようが、必ず失敗するのである。
何故か?
障害者や貧困者は、
『自分が人間であり、社会に厭でも生かされている存在である。』
と、
自己表現しなければ、とてもじゃないが生きていけない存在だからだ。
つまり、常に 『俺はここにいるぞ!』 と叫び続けなければ、人間ではなくなるのだ。
プロレタリアートや階級人として 「形成されるべき存在」 ではない。
ただ、其処に生きている。それだけのものだ。

ははははははははははははははははははははははははははははは。

21世紀なのにィ?
先進国なのにィ?

金沢の冬は、ホームレスは越せない。
金沢に地下鉄は掘れない。

貧乏人の銭を掻き集めても限界があるだろう………………
遺漏の停止を言い出す新自由主義者の登場は近い。

 

 

 

 

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