貧困にさせられた?哲学?

じっくりヘーゲルを 「読んで」 いると、
ふと、
思うことがあったりする。

と、認識することが 「妥当」 だとしておく、ことと、
と、認識を確定してはならないことが 「妥当」 だとしておくことは、
結局、一緒ではないか?

ヘーゲルは、序論の最初から弁証法を体系ずけているわけではない、ような気がする。
「体系」 というのは、実は、「後追い心中」 するという意味で、遺された者たちが 「寄り処」 として、「構築」 してしまった 「もの」 ではないか?

内側から 「脱する」 不可能性は、青空のように 「あっけらかん」 とした 「生成」?なのかもしれない………………

『なんとかの本の第何章の何行目にこう書いてあるではないか?』
よく、そーいう風に言われたけれど、
僕は、何時も頭の中で反論していたように思う。
「それは、そーとして、それが何?だと言うんだ?共産主義者は、マルクスの歴史寄生虫でなければ、ならんのか?どーして?なんで?」

はははははははははははははははははははははははははははははははは。

口に出して言ったことのない言説を書く、伝説のアホウ。

草むしりで両方の腰を痛めてしまった。
非妥協的な戦いも糞もない。
妥協点すら見いだせない戦いの日々。

階級意識をお頼み申す!

原発で利益を得る馬鹿に鉄槌を!

原発制度粉砕!

 

 

 

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