新左翼を経験した者が生涯を終えるにあたって、始めて共産主義の生き様を口に出来るのだ。

総括の一過性について、色々と思うところがある。
あの天才マルクスですら、自分は本当にマルクス主義なのか?疑問を持った瞬間があるんですぅ。
ましてや、
雛っ子が、どんなに論理的であろうが、高圧的であろうが、軍事的であろうが、
僕(ら)障害者の 「主体性」 は、超えられないような気がします。
かといって、
障害者が DPI なんぞで 「お茶を濁す」 のも、僕は間違いだと思っています。
僕(ら)こそが、徹底的に新左翼のおこちゃま理論や日共の 「仲良しだったらそれで許される理論」 を超えていかなければいけないのだと思っています。
幻想を排除し、陰謀説の全否定をし、デリダを足蹴にし、
原理論は棚に上げ、全てを利用していかなければならんのだ、と、思っています。

やっと、死ぬ間際でないと、マルクスの言う動的な対象化は不可なのではないでしょうか。

つまり、
生涯に渡る阿修羅、なんてのも、若き血潮だけでは補完できない、と、僕は思います。
東大闘争や60-70年代闘争の総括は、共産主義運動の総括ではありません。

反省だけなら、猿でも出来る!

中核派の星野さんは、まだ、獄中です。
僕は、中核派はあまり好きではないのですが、(理由は、大衆闘争の原型的なところで、体制内闘争であるなどと馬鹿げたことを言ってしまう部分です。)
が、
です。彼が獄中で過ごす時間は、あなたが孫を膝にのせ、テレビにブツブツ言う時間なのです。

総括と検証、というのは自分の時間軸の中で、永遠に終わらせてはいけないものだとは思いませんか?
思わなかったら、どーでもエエですけど。

はははははははははははははははははははははははははははははははははは。

手からこぼれたものを哀れむのもエエけれど、同時に徹底的な生涯に渡る思想としての共産主義も考えようね!

僕?
いっそがしくて、さあ。

炊事洗濯、超苦手。

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