用の無い者という考え方が基本的に駄目です。それでも原発は怖いものです。

「無用の者」 をなんとかしていくのが、公務員の最大の仕事なんです。
「現に其処にいる人」 と、
なんとかして 「向き合わないでいたい」 というのが 『公務』 の原則になっているのでしょうか?
僕は、SNSとかツィッターとかFACEBOOKとかは絶対にしません。
生身の人間と距離をテキトーにおける道具にしかみえないからです。
ブログは、かろうじて、生身の部分を表現できる最後の手段ではないかと考えています。

僕は、「ウゲッ!なんちゅう軽い処罰だ」 とは考えずに、じっくり時間を掛けて再教育する義務が施政者にはあるような気がします。

お医者さんとか、現場の教師が信用できるシーンがある瞬間は、目の前に生きとし生ける現存在があるからです。

手で触れる距離に他者がいないと、必ず自尊心は崩壊します。

生活保護受給者を救済しようとする運動が -必ず・ぶつかる・とある・瞬間- について、一寸だけ考えました。
そうならざるを得なかった人と、制度を上手に利用しようと企む人と、
なにも変わらないのです。
制度を上手に利用するのは、人間としては当たり前の行為で、たとえその人が社会的に脱落者に見えても、その先にある 【なんで?】 を問うことができなければ、キャリアも糞も、インテリジェンスも何もあったもんじゃない、ですぅ。

僕が、反原発ではない! と、言い切るのには、当然理由が有り、それは、一般的なマルクスに対する態度に疑問がある、という前提が一つあります。
マルクスは自分自身でも、活字でダイナミックな運動を表現するには限界がある、と、思っていたように思います。
人がテキストを超える瞬間を、どう?表すのでしょうか?
エンゲルスは12年かけて資本論を現在の書籍らしい書籍に仕上げたらしいですが、
そのこと自体が、悪魔のスターリニズム一国主義 を生み出したのだと思えるのです。
つまり、上手く書けませんが、左翼的な雰囲気に物凄い疑問があるからです。
エンゲルスには、マルクスの情念を伝播する他の方法があったように思います。
ダイナミズムも、一切の組織者としての対象化をどう処理するか?で、
論理的な矛盾に陥るのは当然で、
テキスト化しえないもの、を、どうして?人々は、
名指す者になるしかないのでしょうか?
僕は、マルクスとエンゲルスの 「友情」 は、極めて古臭いものに思えるのです。
(右翼的な雰囲気も嫌いです。)
まあ、
それは、
理解するのに実体験がないと非常に難しい話です。

新・新左翼?
笑ってしまうのです。くっだらねえ!って!

はははははははははははははははははははははははははは。

65歳になったら、障害者は普通の年寄りになるのでしょうか?
合理的にお考え下さい。合理的に!

追伸:
洗濯物を干し、食器を洗い、残った米を冷蔵庫へ、
主婦って、疲れるんですね。
みなさん!
布団の上での行動は要注意です。足の骨を折ることがあります。
手術も出来ない存在であることに気付いていた夫婦。
レントゲンに骨が、ボワーンってしか映らないのよ。
大学病院は、拒否です。
絶対に実験材料にされます。我々夫婦の共同意識です。階級意識と似ている。
ははは。
2ヶ月間、独身。

 

 

 

 

 

 

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