うわぁー。どっかの党派の絶縁状だ。

スピノザ
異端の系譜
イルミヤフ・ヨベル 著
小岸 昭/F.ヨリッセン/細見和之 訳
人文書院

ISBN4-409-03050-7 C3010

PP.19-21.

引用ここから>>

第一章 プロローグ──異端者にして破門されし者

一六五六年七月二七日、アムステルダムのポルトガル人共同体に所属する二四歳のユダヤ人に対して破門の宣言が下された。その宣告文は、以下のとおり共同体の記録帳に記されている。

汝らに告ぐ、マーマド[すなわち、市評議会]は、すでにかなり以前からバルーフ・スピノザの好ましからざる思想と行ないの数々を知り、彼を悪の道から引き戻すためにいろいろ手を尽くし、約束もしてきたが、その努力は何一つ実を結ぶには至らなかった
それどころか、彼が現に実践し、かつ[他の人々にも]教えた、唾棄すべき異端の数々と彼のなした恐るべき行為に関する知らせが日毎に増え、またそうした事実を裏付ける信頼すべき証言も寄せられ、その一つ一つがすべて右に述べたエスピノザの面前で証明され確認されたがゆえに、またかかる事実に間違いなしとの確信に基づき、そのいっさいをハハム[ラビ]各位の臨席の下に検証したるを以て、評議会はその見解に従い、右に述べたエスピノザを破門[へレム]に処し、イスラエルの民より追放することを決定した。
かくてエスピノザに、実際以下のごとき破門を宣言する。
「天使たちの審判に従い、聖人たちの言葉に従い、我々はバルーフ・デ・エスピノザを破門し、追放し、弾劾し、呪詛するものなり。
……律法に記されたあらゆる呪いをもって、昼も呪われてあれ、夜も呪われてあれ、また寝る時も呪われてあれ、起きる時も呪われてあれ、家を出る時も呪われてあれ、家に入る時も呪われてあれ。
主は彼を許し給わざらんことを。
主の怒りと主の憤りがこの男に対して燃え上がらんことを。
……然るに汝らは、主なる汝らの神に従う者たちよ、皆もろともに今日を生きよ」。
我々は命じる。
何人も彼と話を交わすことのないように、口頭によるものであれ、文書によるものであれ、彼と話を交わすことのないように、何人も彼に好意を示すことのないように、また彼と一つ屋根の下に泊ることのないように、四エレ以内彼に近づくことのないように、彼が作成し、彼が書いたものは一枚たりとも読むことのないように、と。

右の破門の対象であるバルーフ・デ・スピノザは、ユダヤ人共同体の上層階級に属していた。彼の父親ミカエルは、アムステルダムできわめて重要な役職にあたる共同体行政の理事「パルナス」として、何度か共同体の業務に直接携わるなど、大変信望の厚い商人だった。若き日のバルーフ(ベント)は伝統的なユダヤ教の教育を受け、ヘブライ語を学び、聖書、タルムードおよびユダヤ哲学の研鑽を積み、(特に数学、物理天文学などのヘブライ語文献を読むなど)世俗的な科目についても独学する一方で、商人としての生活に入ってゆく準備も怠らなかった。六歳の時彼は母親ハンナ・デボーラを失い、その時から一家は度々死に見舞われることになる。彼の弟イサークと彼の妹ミリアムが早世し、彼の義母エステルが、そして最後に彼の父ミカエルが世を去った。

スピノザが父親を失ったのは、二二歳の時だった。
彼の弟ガブリエルと共同でスピノザは、果物の輸出入を手掛ける「ベントならびにガブリエル・デ・スピノザ商会」を創設した。
この商会がやっと軌道に乗りかけたところで、兄弟はある日、海難事故で損害を被った。
この頃スピノザは、ラビ・サウル・レビ・モルティラが校長を務める律法学院「ケテル・トーラー・イェシバ」への通学を続けており、したがって彼の昔の先生であるラビ・メナセ・ベン・イスラエルとの関係も絶たないでいたに違いない。
このメセナ・ベン・イスラエルの家は、アムステルダムを訪れた研究者やユダヤ人学者たちの溜まり場となっていた。
その時点までは少なくとも表面的には、スピノザとユダヤ人共同体の関係にはまだ何の変化も認められない。
彼の父親の死後一年以上過ぎた時点で、彼はまだシナゴーグ当局と友好的な関係にあり、きちんと税を納め、寄付金も支払い、当局との公然たる争いに巻き込まれるようなことは全くなかった。
にもかかわらず、スピノザは疑惑と異端思想に満ち溢れていたに違いなかった。
彼は聖書を諳(そら)んじていて、聖書にさまざまな矛盾を見出していた。
たとえば、奇跡概念は彼にとって、理性とも自然の法則とも相容れないものに思われた。彼はまた預言者たちに遠大な想像力が働いていた形跡を見てはいたが、整然とした理性的な思考の形跡を認めてはいなかった。
トーラー(成文律法)の諸規定と「バラハ」(口伝律法)の諸規定は、彼には悪意的で、たかだか歴史的なものでしかないように思われ、それらはまた神の法とは無縁であるように思われた。
もし実際に神の法があるとすれば、その法はもっぱら普遍的で揺るぎない自然法則という形で、宇宙そのもののなかに存在しているはずである。
さらに、誰もが避けられない死という観点から見れば(スピノザ自身幼年時代初期の頃からすでに死に遭遇していたが)、来世に関する内容のない観念には人を慰めるに足るものはなかった。
死は、生きとし生けるものの、その肉体と精神双方の絶対的な終わりを意味するものだった。
人生にもし何らかの意味あるいは目的があるとすれば、それはこの現世に、探究と理解の生活のなかに、そして個人の精神的自由のうちに、存在しているに違いなかった。スピノザは相変わらず永遠、無限、完全といった観念、言い換えれば、神の観念に固執していたが、こうした神性は彼の目からすれば、世界の外に、かつ神の創造になる自然の外に遊
離して存在する独自の人格などではなかった。
むしろ、人間の愛の対象である神は、宇宙が唯一の全体として理解され得る限り、宇宙そのものだった。
自然と神は一つのものであり、したがって、自然の認識はすなわち神の認識にはかならなかった。

<<引用ここまで。

なんかなあぁ………
きつね、っていう比喩は脳性まひであり。阿部清明の母親は、脳性まひだったような気が今でもしている。
しのだの杜の………
匂い寄こせよ梅(=五忙星)の・花(=端)、あるじ(=主という名の共同体・既に無い。)なしとて、春(=張る、権力を奪取する。)なわすれ、そう………

きわめてユダヤ・チックなこの本は、この本ぐらいしか該当が存在しない、という意味で素敵な本です。なんのこっちゃ!
正統派・西洋哲学の流れでないところで、西洋哲学の流儀で何かを語るのって、不便じゃないですか?
うんこらしょ!
どっこいしょ!
って、オランダの堤防少年になる瞬間は、類も国家も意識していず、
やむにやまれず、って、こってはないですか?
類とか国家とか共同性とか。意識せざるを得ない状況下ってのは、平和に見えて、じつは一番危険な状況だと思うんですぅ。
やむにやまれず、ってのには、理由はたぶん人類には見つけられなくて、
次の文明で、はっきり、「認識」 してもらえる?

ははははははははははははははははははははは。

胃が痛くなって、センロックという薬が必要になりながら、次を 「読み」 進める、僕。
異様に、
優しい、
今日の、僕。

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