新聞や本を読まなくて、ネットばかり見ていると知性が、ちいせーぇーくなります。

靑木文庫
226
明治維新のはなし
服部之總 著

きりが悪かったから、続きの引用>>

ところで、いまのべました民主主義革命のフランス=アメリカおよび一九一七年のロシアの型に対しまして、一九〇五年の失敗したロシアの民主主義革命の型──それは、はたらく人民たる労働者や農民、インテリゲンツィア、中小商工業者にとっては、「失敗した」革命ですが、滅亡をまぬかれたツァーリズムや地主にとっては「成功した」革命だったのです。このように、支配する旧勢力にとって成功を意味したような民主主義革命の型は、これはそもそも「革命」でもなんでもないのですから「改革」とよばれます。この「改革」型の民主主義革命が、どんなに「みせかけ」のものにすぎなかったかについては、さっき一九〇五年のロシア革命のときのストルイピン土地改革や国会の本質についてみたとおりです。いっさいは、地主とツァーリズムのために利用されている。そしてこのような利用が可能となり、現実となったのは、ひとえにブルジョアジーが、かんじんのときに革命をうらぎり、人民の側から人民の敵の側にねがえりをうったことによって生じたものであることも、さきに話したとおりです。このような型の「改革」は、しかしながら、一九〇五年のロシア革命のときが最初ではありません。その最初の例はプロシァです。

プロシァは、ナポレオンとの戦争にまけて国があやうくなった一八〇七年かちスタインの「上からの革命」──これはスタインのことばですが、その内容は明治四年-六年の改革と符節をあわすような農民解放、農業改革に着手しました。国会を要求する人民の声に抗しかねて一八一五年にはそれを約束する詔勅をだしたけれども、ナポレオンがワーテルローに敗れさって反動がヨーロッパを支配するや、へいりのごとく約束をやぶって昔どおりの絶対主義をおしとおしました。そのごいろいろあって、ついに人民は一八四八年の革命に、ブルジョアジーも、労働者も、農民もたちあがったけれども、型のごとくブルジョアジーがうらぎって絶対主義と妥協したために、革命は失敗し、一八五〇年のプロシァ憲法は、「絶対主義のイチジクの葉」とよばれたほど、憲法とは名ばかり形だけで、それを伊藤博文がしきうつしにした明治憲法が、天皇大権によって人民の権利を無にしていたのをみれば、そのいみがよくわかりましょう。マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』は一八四八年の革命の前夜にでたもので、エンゲルスの『革命および反革命』は革命失敗の直後にかかれたものです。このような民主主義革命の型──革命が失敗した「改革」の型を「プロシァの型」とよびます。一九〇六年のストルイピン改革はこのプロシァ型です。

わたしがいま民主主義革命の二つの型についていったことを、レーニンが農業革命の二つの型として論じていたことは、知っている方がありましょう。農業革命の二つの塾は、民主主義革命の二つの型とあいおうじているものであり、実とふたのような関係にあるのです。農業革命の二つの型の問題は、とくにそれを、一国の資本主義的発展の経済過程の分析の基礎理論として、レーニンが展開しているものです。

3 「上からの革命」は改革にすぎない

さて敗戦後の日本が、はじめて主権在民を新憲法で規定し、あわせて一方において、農地法というものを制定して、耕地だけではありますが、その小作制度を大幅に撤廃しましたことは、これまでのべてきたような民主主義革命の公式に一応かなっているのであります。けれども小作地は無償で農民にあたえられたものでもなければ、完全に撤廃されたのでもありません。また、耕地以外の部面で無制限な大土地所有がいぜんとして許されていることは昔のとおりです。そのことは「主権在民」の新憲法のなま煮えのできばえと相い応じてもいるのです。

また、この民主主義的変革が、半封建的なファシズム日本が「ポツダム宣言」の連合軍に無条件に降伏した結果として生じたものであって、フランス革命のごとく国内のブルジョアジーと農民の連合によって戦い取られたものでもなければ、ロシア革命のごとくプロレタリアートと農民の同盟によって戦い取られたものでもなかったという事情と相い応じてもいたのであります。それであればこそ、この敗戦によって「あたえられた」日本の民主主義革命をこんど貫徹して決定的なものに仕上げてゆく任務は、かかってわれわれ日本民族のうえにあるのでありまして、なにびとがこの課題の先頭にたつか、いかなる階級、またはいかなる諸階級の連合軍が先頭にたつことで、この課題が決定的に遂行されるか、じつに祖国日本の民主主義的興亡のカギはこの点にかかっているのであります。

敗戦後満三年間の日本の歴史は、ほかならぬこの問題を、日程にのぼしているのでありまして、しかもそれを、労働者、俸給生活者、農民、インテリゲンツィア、中小商工業者の日常生活の問題と密接不可分な関係において、上程しつつあるのであります。このような課題に直面しているわれわれにとって、日本の民主主義革命の過去の歴史をかえりみることが、どんなに必要であるかは、いうまでもないことでしょう。その場合にわたしどもは、日本の軍事主義革命は明治維新で実現されていたのだという、こんにちまでいいふるされた見解に、ぶつかるのであります。たとえばみなさんは、終戦内閣の東久邇総理大臣がラジオで明治維新に言及して、「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スべシ」という明治元年三月の五箇条の誓文は日本民主主義の宣言であったと放送したことを記憶されているでしょう。

敗戦前、わたしどもの時代からみなさんの時代まで国定教科書でおそわっていたことも、明治維新によって日本の封建制度はたおれて「文明開化」の近代国家にうまれかわったという御伽噺でした。そして、驚くべきことは、敗戦後文部省が編さんした教科書をみましてもおなじことが、『国のあゆみ』にも中等学校の歴史教科書にも、れっきとして書かれているということです。

これがもし真実であって、日本の民主主義革命が明治維新で実現されていたのだとするならば、民主主義革命の二つの特徴たる主権在民と農民解放は、はたしてどの程度までそのとき実現されたのでしょうか?

「主権在民」は、明治憲法にはその影さえもありません。それはこのたびはじめて規定されたもので、また農民の解放でもそうです。地租の改正が、ほんとうに農民解放であったならば、このたびの農地改革法で、小作制度や田地田畑の大土地所有制を撤廃する趣旨の土地問題の解決に手をつけるようなことの必要はなかったはずです。このようにあきらかに明治維新は、民主主義革命ではありませんが、しかしながら「プロシァ型」としての「改革」の跡はもっていたのです。その「改革」のごまかしのあとをもって真実の民主主義革命であったかのように宣伝するのは、これは歴史上のデマともいうべきもので、デマはけっして、現在のことがらだけについて放送されるものではありません。このような過去にむかってのデマはつまるところ、これまでどおり天皇制を神秘化し、敗戦後の民主主義革命徹底の課題を、なるべくサボタージュして独占資本の支配を強化するためのファシズム的な策謀というほかはありません。たとえば、北一輝の著書をみましても、『支那革命外史』をよんでごらんなさい、「明治絶新」を称して「明治維新革命」といっております。かれもそのなかで五箇条の誓文を証拠として明治天皇をもって民主主義を日本にもたらした大ナポレオンに比しているのですが、かれによると明治天皇は、地租改正を断行して日本の農民を封建的抑圧から完全に解放した偉大な聖王であるというのです。

わたしは、唯物史観を方法として、明治維新をみるマルキシストの学者ですが、ここにいかんとすべきことは、おなじマルキシズムによるとする労農派の諸君の見解も、この点で北一輝の見解と大同小異であることです。今年でた大内、向坂、土屋、高橋氏らの『日本資本主義の研究』という座談会的な研究をみますと、このことがよくわかります。そのなかでも、さかんに「推新革命」ということばがもちいられています。そして維新をもって革命とするゆえんは、地租改正によって農民が解放されたためである。地租改正が日本の土地制度を近代化したと考えられている。いいかえれば、農民は封建的な農奴から近代的農民にかわって、土地関係においては完全に解放されたという理論です。これは故櫛田民蔵氏が、いまから二十年前にいわれていらいの一貫した労農派の思想なのです。これがほんとであれば、たしかに明治維新はなんら「改革」ではなくて「革命」だったにちがいありません。明治維新をもって、民主主義革命だとする見解はけっしていままでの天皇制的歴史家の見解ばかりではないのであります。これらのことを頭において、われわれは正しい明治維新の見方をたたかいとる必要があると思います。

日本のブルジョア革命は、明治十年代の自由民権をもってはじまり、こんにちこそ自由党という名は、最右翼の政党の名になっていますが、そのかがやかしい名は、明治十年代の専制政府にたいして血を流してたたかった自由党に発していることは、ごしょうちのとおりであります。

自由民権運動では、加波山事件いらい全部で十人が死刑に処せられていたことを考えてみても、当時のたたかいは、いかにせっばつまったたたかいであったかがうなずかれることと思います。このたたかいは、けっきょく人民の惨敗におわって、絶対主義政府の勝利となったのですが、理論的指導者の一人である中江兆民は、『一年有半』(明治三十四年)という本を書いて死んだのですが、そのなかでは、維新革命とはいわずに維新改革といっております。さすが兆民なるかなです。

改革と革命とはちがいます。革命はレヴォルーションであります。改革はリフォームです。フランス=アメリカの型が革命で、プロシァと日本は改革にすぎません。革命とは、一国の政治権力をにぎる者が、階級的にかわることをいいます。いままでの封建的殿様とか、大土地所有者のにぎっている権力が、ブルジョアジーおよび人民の手にうつる、これが古典的なブルジョア革命です。これにたいして改革とは、その権力の移動がなく、あいかあらず以前の支配者(封建的大土地所有者)が権力の座についたまま、たとえ政権を他の階級にゆずるべき歴史の時代にはいっても、いぜんとして誤魔化し政策をとっているのが改革であります。

明治維新は改革で、革命ではありません。これが序論の結論であります。

<<引用ここまで。
正統派?マルキシズム宣言をしたら、護憲とは違ってきて当たり前だと、普通に考えていた、僕。
少しだけ 「手を加え」 読みやすくしておきました。
気が向いたら、続きを 「立ち読みの範囲」=編集の無視、得手勝手OCR、の範囲内で載せます。
なお、
一切は金銭的な行為とは 「無縁」 です。
ま、
まあ、
削除されにくい形式と、検索されにくい方法論はありますけどね。

はははははははははははははははは。

学者じゃねえんだから、研究費があるわけでもなし、
どうせ、テレビも殺人事件ドラマばっかしじゃから、午後3時には古本屋か図書館だね。
活字!!
メンドくせぇー!

 

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